認知症と相続手続
相続が開始した際、法定相続人の中に認知症を患い自由に意思決定をすることが難しい方がいることがあります。
特に、この超高齢化社会の日本では、そのようなケースは決して珍しいことではありません。
では、このように法定相続人の中に認知症の方がいる場合の相続手続はどのように行うことになるのでしょうか。
認知症と相続手続について司法書士が解説します。
判断能力がない相続人が参加しても遺産分割協議は成立しない
相続手続において、法定相続人が複数ある場合には、遺産分割協議が欠かせません。遺産分割協議は、被相続人が遺言書を遺さず亡くなった場合に、一旦は法定相続人全員の共有状態となった財産を相続人全員の話し合いによって各相続人に分配する手続のことです。法定相続分どおりに相続し、共有状態のままいることも可能ですが、共有状態はいずれ解消すべきときがくるでしょうから、一般的には遺産分割協議を行い財産の帰属を決めておくことが必要といえます。
遺産分割そのものには法的な期限はありませんが、相続税の申告(相続開始から10か月以内)や相続登記(令和6年4月より3年以内に申請が義務化)などの手続には期限がありますので、可能な限りそれまでに遺産分割協議を行うべきでしょう。
遺産分割協議を成立させるためには、相続人(包括受遺者を含む)全員が参加する必要があります。そして、その参加した相続人全員の合意がなければ遺産分割協議は成立しません(多数決などでは決められない)。
ここで、『相続人全員の合意』が問題となります。それは、認知症の方については、遺産分割協議に合意をするに足りる判断能力が欠如している場合が多いためです。もちろん、ごく軽度の認知症であれば、遺産分割について十分は判断能力を有する場合もあるでしょう。ただ、ここで問題としているのは、あくまで判断能力が十分ではない状態となった方についてです。
認知症などにより判断能力が欠如する相続人が遺産分割協議に参加しても、『相続人全員の合意』があるとはいえませんから、有効な協議は成立しません。
認知症では相続の放棄や承認もできない
認知症によって判断能力が欠如している相続人は、そのままでは遺産分割協議に参加することはできません。
同様に、認知症によって判断能力が欠如しているということは、遺産分割協議だけではなく、相続の放棄や承認もすることができません。
なお、相続放棄の手続は、一般的には自己のために相続が開始したことを知った時から3か月以内に家庭裁判所に申立てを行う必要がありますが、認知症によって判断能力が欠如している(減退している)場合には、その方自らが『自己のために相続開始があったことを知った』ということにはなりませんから、この3か月の期間は相続が開始しても直ちには進行しないということになります。
また、認知症などによって判断能力が減退している場合には、単にプラスの財産を相続するに過ぎないといえども、認知症の方自らが行うことはできないものと考えるべきでしょう。この点は、単に権利を得るにすぎなければ法律行為を単独で行うことができるとされている未成年者とは扱いが異なります。
未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない。ただし、単に権利を得、又は義務を免れる法律行為については、この限りでない。
成年後見制度を利用する
結論から申し上げて、現行法のもと、認知症などによって判断能力の欠如(減退)した法定相続人がある場合において、遺産分割をするときは、成年後見制度を利用することが欠かせません。
遺産分割協議は本人の財産形成や処分に多大な影響を与えることがありますから、判断能力の不十分な方に遺産分割協議に参加させることはできず、一番身近なご家族といっても、当然に本人を代理することを認めるわけにはいかないからです。
ここで成年後見制度について確認していきましょう。
1.成年後見制度とは
成年後見制度とは、認知症や知的障害などにより、判断能力が十分ではない方(本人)を支える人(後見人等)を付すことによって、
- 契約締結や遺産分割などの法律行為について本人を代理する権限
- もし、本人が騙されて契約をしてしまった場合などにその契約を取り消す権限
- その他重要な判断が必要になることについての代理権や同意権
などを与えることなどによって、法律的に本人の利益の保護を図ろうとする制度です。
そして、現に判断能力が十分ではない方に代わって契約をしたり、被害にあった契約を取り消すための法定後見制度には、下記の3つの類型があります。
(1)後見
事理を弁識する能力を欠く常況にある方(自分の意思で判断することがほぼ不可能な状態)を対象としています。
後見類型における本人を「成年被後見人」、保護者を「成年後見人」といいます。成年後見人は成年被後見人の法律行為を代理します
成年被後見人が自ら行った法律行為は、日常生活に関する行為(例えば日用品の購入や公共料金の支払いなど)を除き、すべて取り消すことができる法律行為となります。
成年被後見人の法律行為は、取り消すことができる。ただし、日用品の購入その他日常生活に関する行為については、この限りでない。
(2)保佐
事理を弁識する能力が著しく不十分な方(ときどきは意思がはっきりすることがあるが、そうではない場合が多い)を対象としています。
保佐類型における本人を「被保佐人」、保護者を「保佐人」といいます。
保佐人が選任された場合の効果については、民法13条に規定されています。
被保佐人が次に掲げる行為をするには、その保佐人の同意を得なければならない。ただし、第9条ただし書に規定する行為については、この限りでない。
1)元本を領収し、又は利用すること。
2)借財又は保証をすること。
3)不動産その他重要な財産に関する権利の得喪を目的とする行為をすること。
4)訴訟行為をすること。
5)贈与、和解又は仲裁合意(仲裁法(平成15年法律第138号)第2条第1項に規定する仲裁合意をいう。)をすること。
6)相続の承認若しくは放棄又は遺産の分割をすること。
7)贈与の申込みを拒絶し、遺贈を放棄し、負担付贈与の申込みを承諾し、又は負担付遺贈を承認すること。
8)新築、改築、増築又は大修繕をすること。
9)第602条に定める期間を超える賃貸借をすること。
10)前各号に掲げる行為を制限行為能力者(未成年者、成年被後見人、被保佐人及び第17条第1項の審判を受けた被補助人をいう。以下同じ。)の法定代理人としてすること。
(3)補助
事理を弁識する能力が不十分な方(意思がはっきりしていることが殆どだが、時々そうではなくなることがある)を対象としています。
補助類型における本人を「被補助人」、保護者を「補助人」といいます。
補助人が選任された場合の効果については民法17条に規定されています。
家庭裁判所は、第15条第1項本文に規定する者又は補助人若しくは補助監督人の請求により、被補助人が特定の法律行為をするにはその補助人の同意を得なければならない旨の審判をすることができる。ただし、その審判によりその同意を得なければならないものとすることができる行為は、第13条第1項に規定する行為の一部に限る。
2 本人以外の者の請求により前項の審判をするには、本人の同意がなければならない。
3 補助人の同意を得なければならない行為について、補助人が被補助人の利益を害するおそれがないにもかかわらず同意をしないときは、家庭裁判所は、被補助人の請求により、補助人の同意に代わる許可を与えることができる。
4 補助人の同意を得なければならない行為であって、その同意又はこれに代わる許可を得ないでしたものは、取り消すことができる。
実際に、ご本人が上記3類型のうちどれに該当するかは、医師の診断等に基づき、家庭裁判所によって決定されることになります。
2.成年後見人等が本人を代理する
以上のとおり、成年後見制度を利用し、認知症等によって判断能力が欠如している相続人に成年後見人等が選任された場合、当該成年後見人が本人である相続人に代わって遺産分割協議に参加することになります。
また、保佐人や補助人が選任された場合には、同意権や代理権など、裁判所により与えれらた権限の範囲でこれらの方が遺産分割協議に関与することになります。
つまり、法定相続人の中に認知症などによって判断能力が減退する方がいる場合には、本人の判断能力の程度に応じ、後見、保佐、補助の制度を利用し、これによって選任された成年後見人等が関与することにより、初めて有効な遺産分割協議を行うことができます。
3.成年後見制度を利用する場合の注意点
遺産分割協議や財産処分等が必要となる相続手続には、本人のために後見人等を選任することが必要となりますが、成年後見制度の利用にあたっては、下記の点に注意が必要です。
(1)後見人等の職務は、相続手続が終わった後も継続します
遺産分割協議などの必要性から後見人等の制度を利用した場合、相続手続が終わったとしても、基本的にはご本人の存命中はずっと後見人としての職務は継続します。後見制度は、相続人の都合によって相続手続を行うためだけに利用することはできません。あくまで、本人の利益保護が目的の制度ですから、相続手続が完了しても後見人等を勝手に辞任したり、利用を取りやめたりすることはできません。基本的には本人が死亡するまで後見制度を止めることはできません。
(2)本人と後見人等の利益が相反する場合、特別代理人の選任が必要です
たとえば、本人のご家族が後見人に選任されている場合において、本人とともに後見人自身やその配偶者などが法定相続人となる場合、本人と後見人等の利益が相反する関係になることから、その後見人等は本人を代理して遺産分割協議に参加することはできません。このような場合には、その後見人等に代わって遺産分割協議をするために、別途、利害関係のない方を「特別代理人」として家庭裁判所に選任してもらい、その特別代理人が遺産分割協議に参加することになります。
(3)本人に不利益となるような遺産分割協議はできません
成年後見制度は、本人の利益を保護するための制度です。そのため、本人にとって不利益となるような内容の遺産分割協議をすることはできません。成年後見人を付けさえすれば、本人の取り分はゼロでも良い、ということにはなりません。少なくとも、法定相続分に見合った財産を本人のために確保するような内容でない限り、家庭裁判所が遺産分割協議を認めないという判断をする可能性が高いです。
(4)居住用財産の処分等を行うには、家庭裁判所の許可が必要です
成年後見人が本人に代わって遺産分割協議等を行い無事に相続の手続が行われたとしても、相続した居住用の不動産について、民法859条の3所定の行為をするには、家庭裁判所の許可が必要となります。
そのため、この許可が得られる見通しがないにもかかわらず成年後見制度を利用しても、結局は最終的な目的を達することができない可能性があります。
成年後見人は、成年被後見人に代わって、その居住の用に供する建物又はその敷地について、売却、賃貸、賃貸借の解除又は抵当権の設定その他これらに準ずる処分をするには、家庭裁判所の許可を得なければならない。
(5)成年後見制度を利用するには一定の時間が必要です
成年後見制度の利用には数か月から1年単位の期間を要することがあります。単純に成年後見人等を選任するだけの手続であれば、最短で1か月程度の期間で済むこともあるでしょうが、特別代理人の選任手続や家庭裁判所の許可、医師の鑑定等が必要となるケースでは数か月から1年単位の時間を要すことも珍しくありません。
成年後見人等の選任手続と必要書類
成年後見制度を利用するためには、ご家族等の利害関係人から、ご本人の住所地を管轄する家庭裁判所に対して成年後見人等の選任申立手続を行う必要があります。
この成年後見人等の選任申立手続に際しては、一般に、次のような書類が必要となります。
- 後見開始の申立書
- 申立人の戸籍謄本
- 本人の戸籍謄本、戸籍の附票
- 本人の財産目録、収支予定表
- 被相続人の遺産分割未了の財産目録
- 成年後見等の登記がされていないことの証明書
- 医師の診断書
- 法定相続人等親族の意見書
- 成年後見人候補者の戸籍謄本、住民票、身分証明書、成年後見登記事項証明書
- 申立手数料として収入印紙
- 成年後見登記のための収入印紙
- 郵便切手
※ 事案により上記以外の追加資料の提出を求められる場合があります。
※ 事案により家庭裁判所による鑑定が必要とされるケースでは、別途鑑定料(10~15万円程度)が必要となる場合があります。
成年後見制度を利用せずに相続手続をする方法
相続人の中に認知症等の方がいる場合、遺産分割協議をして財産を分配をするためには、成年後見制度を利用することが必要となることは上述のとおりです。
このことについて、基本的には例外はありません。現行法上、現に判断能力の不十分な方がある場合には、成年後見等の制度を利用せざるを得ないといえます。
ただし、成年後見制度を利用しなければ相続手続は一切できないのか、といえば、必ずしもそうとは限りません。
ある意味では正攻法とはいえない部分はありますが、不動産の相続手続(相続登記)についていえば、一つ方法があります。
成年後見制度を利用せずに不動産の相続登記をする方法
それは、遺産分割協議をしないで 法定相続分どおりに相続する方法です。
法定相続分は、もともと法律の定めに従って相続することに他なりませんから、法律どおり本人の利益は確保されています。そのため、法定相続どおりに相続登記を行う場合に限っては、成年後見制度を利用せずに、しかも合法的に相続手続を進めることができるのです。同様に、税務申告(相続税申告)についても、法定相続分どおりに相続する場合には、遺産分割協議書を作成する必要はありません。
実際に相続登記の申請においては、法定相続分どおりの比率で登記を行う限り、遺産分割協議書は添付する必要はなく、相続登記の申請も法定相続人の一部の者から行うことができるため、認知症等により判断能力の不十分な相続人は手続に関与することなく登記をすることが可能です。
ただし、法定相続分どおりに相続の登記をしたとしても、それだけでは相続手続の最終目標を達成することができないかも知れないという点には、注意が必要です。
たとえば、相続財産である不動産を売却し、お金を分配することが相続手続の最終目標であった場合、法定相続分どおりに不動産の名義変更登記をしたとしても、いざ不動産の売却ということになれば、居住用不動産の許可の問題はもちろん、売買の登記の際は共有者全員の売却意思の確認ができることが条件となりますから、結局は成年後見制度を利用しない限りは売買契約を締結したり、お金を分配することはできないということになります。
また、「何もしないよりはマシだろう」と取りあえず法定相続分どおりに不動産の名義変更などをしてしまいますと、共有登記となったことがかえって問題を複雑にしてしまうこともありますので、必ず専門家にご相談の上、今後の手続の方向性を検討するようにしてください。
成年後見制度を利用せずに預貯金の相続をする方法
令和1年7月1日以降、一定の範囲であれば、成年後見制度を利用せず(遺産分割協議を経ることなく)、預貯金の払戻しを受けることができます。
平成28年12月19日までは、銀行の預金は可分債権(分割可能な債権)であると考えられており、可分債権については債権が各共同相続人に当然に分割して帰属する以上、遺産分割協議を経ることなく、各相続人が自己の法定相続分に応じた金額について預金の払戻しを請求することが可能とされていました(ただし、通常の金融実務としては、遺産分割協議書の添付が求められていました。)。
ところが、平成28年12月19日最高裁判所の決定により「共同相続された普通預金債権、通常貯金債権および定期貯金債権は、いずれも、相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割されることはなく、遺産分割の対象となる。」とされました。
この最高裁判所の決定により、被相続人が有していた預金によって相続人の生活費や葬儀費用、入院費用等に充てたいといった事情がある場合でも、被相続人の共同相続人全員合意により遺産分割協議が成立しない限り、預貯金の払戻しができなくなりました。また、相続人の中に認知症などの方がある場合には、その相続人のために成年後見人を選任してもらい、その後見人等の関与の上でないと預金の払戻しができなくなったのです。
そのため、このような不都合を回避するために、令和1年7月1日より民法が改正され、各相続人は遺産分割を経ずに一定の範囲で預貯金の払戻しを受けることができるようになりました。
各共同相続人は、遺産に属する預貯金債権のうち相続開始の時の債権額の3分の1に第900条及び第901条の規定により算定した当該共同相続人の相続分を乗じた額(標準的な当面の必要生計費、平均的な葬式の費用の額その他の事情を勘案して預貯金債権の債務者ごとに法務省令で定める額を限度とする。)については、単独でその権利を行使することができる。この場合において、当該権利の行使をした預貯金債権については、当該共同相続人が遺産の一部の分割によりこれを取得したものとみなす。
民法(明治29年法律第89号)第909条の2の規定に基づき、同条に規定する法務省令で定める額を定める省令を次のように定める。
民法第909条の2に規定する法務省令で定める額は、150万円とする。
払戻しを受けることができる額について
各法定相続人が遺産分割協議を経ずに単独で払戻しをすることができる額 = 相続開始時の預貯金債権の額 × 1/3 × 払戻しを行う共同相続人の法定相続分